一般社団法人 茗渓会

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2012年11月11日掲載

公開講座「英語誕生の“秘話”を明かす」

藤原教授の英語のはなし 第6弾 内容紹介

講師 藤原 保明(筑波大学名誉教授)
11月10日(土)筑波研修センターにて

「藤原教授の英語のはなし」のシリーズは、平成21年3月の「誰が英語を作ったか」を皮切りに、回を重ね、筑波研修センターで行われた今回の公開講座は第6回目となった。英語の誕生に秘められた興味深い出来事に迫る話の内容は以下のとおりである。

地名に込められた英語の出自

我々がイギリスと呼ぶ国は正式には「大ブリテン島および北アイルランド連合王国」(略称して、連合王国)であり、イングランド、ウェールズ、スコットランドという三つの国が含まれている。

ブリテン(Britain)島という地名は、アングロ・サクソン人が侵入するはるか以前から住んでいたケルト系のブリトン人(Britons)の名称に由来し、イングランド(England)とイングリッシュ(English)はゲルマン系のアングル人(Angles)にちなむ。それゆえ、これらの名称はこの島の歴史と深いかかわりがある。すなわち、イギリスの正式名称にはブリテン島の周辺地域とアイルランドに追いやられたブリトン人の名称が留められていて、イングリッシュとイングランドにはこの国を造ったアングル族(Angles)、サクソン族(Saxons)、ジュート族(Jutes)のうちの一つの部族名だけが残されていることになる。ちなみに、日本語のイギリスという名称はポルトガル語に由来する。

史実の詳細は忘れ去られることが多いが、大英博物館、イギリス放送協会、英国航空、英国標準時を始めとする組織や制度などにはBritishが好まれ、セッター、シェパード、スパニエル、ひいらぎ、あやめ、ばらなどの動植物の名前には主としてEnglishが使われるなど、両者の区別には地理的・歴史的な関わりがある。

ローマの属領時代のブリテン島の歴史

ストーンヘンジなどの巨石文化を残したイベリア人(Iberians)の後にケルト人(Celts)がブリテン島に来住し、ゲール人(Gaels)、ブリトン人、ピクト人(Picts)などに分化した。紀元前55年にローマの将軍カエサルが来攻した時に中・南部に住んでいたのはブリトン人であった。

西暦43年以降ローマはブリテン島の本格的な支配に乗り出し、その後40年ほどの間にイングランド全域を制圧するが、ピクト人やスコット人(Scots)との抗争は続いた。

古英語の主な方言の起源と分布

ローマがゴート人(Goths)の侵攻により危うくなると、ローマ軍は410年にブリテン島から全面的に撤退した。そのために、約370年間ローマ軍の庇護の下にあったブリトン人はスコット人やピクト人の来襲に晒された。ローマはブリトン人の要請に応じて二度援軍を派遣し、ピクト人らを撃退したが、3度目の援軍には応じられなかった。困惑したブリトン人は大陸のアングロ・サクソン人に警護を依頼した。彼らは最初のうちは忠実にブリトン人を護ったが、両者の関係はこじれ、彼らは大陸の仲間を呼び寄せた。そこで、449年以降、ジュート族、アングル族、サクソン族が大挙してブリテン島に侵攻し、ブリテン人を周辺地域に追い払い、定住することとなる。

アングロ・サクソン人の侵入と英語の成立

一般に、人が居住地を移しても話す言葉は容易には変わらない。まして、意志の疎通に事欠くほど言葉が変わるには相当の期間を要する。

5世紀の半ば以降、ブリテン島にはゲルマン系の部族による王国が次々に形成された。キリスト教が伝えられると、ルーン文字(runes)に代わってラテン文字による記録が始まった。もっとも、その頃のブリテン島の言葉で現存するのはラテン語の文章の行間に注釈として書き込まれた程度のものである。現在の英語の直接の先祖と言える古英語が成立したのは、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住してから250年ほど経った8世紀初頭のことである。

最古の英語から今日の英語へ

英語の先祖とはいえ、古英語は英語を母語とする英米人でも全く理解できないほど、アルファベット・綴り方・発音・語形・語義・語順のいずれも、現在の英語とは大きくかけ離れている。古英語が今日のような言葉へと発展するまでに、数百年の歳月と幾多の試練を経なければならなかった。

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